Master's Photo Diary

■ □ ■ 2007 〜 2008 ■ □ ■



こんなこと言ってたら、風当たり、あるかな〜〜??


当り前のことや、みんなのこと、つまり自治的な社会活動において、きちっと取り組んでいる人達が馬鹿を見ないような、そんな世の中であってほしいなぁ〜と、私は思ってます。

例えば、PTA活動について言えば、執行部役員をしてるとかしてないとかいう次元にまで及ばないにしても、クラスの、その一年中心になって取り組んでお世話頂くクラス役員の方々がいます。(クラス理事とか、言い方は様々)
で、そんな役割を一つも引き受けないで子供の卒業をむかえ、「しめしめ、やらないで済んだわ…」みたいに、ある意味要領よく立ち回っているような父兄もいるだろうなぁ〜と、思います。

それと、学校給食の運営について言わせてもらえば、何だかんだ理由をこじつけて悪質に給食費を払わない人達が、ほんの僅かですがいると聞いています。

やらないですんだわ、払わないですんだわ〜

そういう人、そういう家庭、そう言うところの、そう言う親に育てられた子供と、
頼まれればショウガない、誰も引き受け手がいないのなら、私がやってもいいですよ、と自分のこと・家のこと、ある程度犠牲にしてもいいと言うような覚悟で、頑張ってくれてる親御さんに育てられた子供の両方がいるのです。
学校給食を、あの程度の負担で提供してくれる社会の仕組みと人達に感謝をし、納付が指定された期日までに払えないことも、そりゃぁ〜まああるかもしれませんけど、子供が肩身の狭い思いをしないようにと、家計費を必死でやり繰り
し、年度末までには全納しなくてはと頑張ってる親がいる反面、そんなことお構い無しの親もいるわけですよ。

親がPTA活動に一定の理解を持って、出来ることは出来るだけ手伝って行こう。
自分らも事前に了解した給食費始め学校関係の費用は、踏み倒すことなく責任を持って払って行こう。

当たり前と言えば、当たり前のことなんですけどね〜。

私は思うんです・・・
学校教育活動に協力的で、給食費もちゃんと収めている家の子供の、、、
例えば内申書に、
それがそうだったとわかるような記述があっても良いのではないでしょうか・・・
学校教育活動には全く非協力的で、給食費すら納めないような家の子供の内申書には、
そう言った保護者であったと、わかるような記述があっても良いのではないでしょうか・・・

それを入学させる側、ふるいにかける方がどう評価するかはわかりませんよ。
「子供には責任がない」と言う言い方の世間はとても素敵だと思いますが、実際にその親がとった行動は、善行も悪行も、先々わかるように表してもよろしいんじゃないでしょうか・・・

言うなれば、子供自身には責任はないけど、若干でも寸評されるべきだ!
私はそんな風に思います。

やってもやらなくても、おんなじ。 
払っても払わなくても、おんなじ。
同じだったら、やらない、払わない方を選択したくなるのは人の常ではないでしょうか。

もちろん、こんなことで、PTAの役員のなり手探しが難行しなくなるとか、給食費の未納が減るとか、そう単純な話ではない、 とかって言う人たちも出て来そうですが、従来からきちっとやっている人達にはなんもいいですよ。 ただ、反対・文句がでるとしたなら、「やらないですんだわ、払わないですんだわ〜」という人達と、そしてその風当たり受ける教職員の方々、でしょうか・・・

最近、ご飯の残食がとても多いそうです

photo じゃないけど illustration


先日、ベネッセのジュニアパークの登録キャンペーンに申し込んだら、こんなの頂きました。

姉

妹

子供の写メ送ったら似顔絵にして送ってくれるっていうサービスだったんですが、なかなか似顔絵って書いてもらう機会ってないですからね〜、良かったです。

似顔絵にすると、やはり姉妹です、どことなく似たとこあるように見えますものね。

photo じゃないけど、diary


トップページに書くには、やや過激というか、誤解を受けそうな気もするのでちょっと控えめにこの場所で。 でもそこまでして「なぜ載せる?」って言うクエッションも聞こえてきそうですが、あえて書き出して文章にまとめてみたい、、、そんな甘っちょろいノリで公開する、この浅はかさをお許し頂きながら、どうぞ付き合い下さい。


とある火曜日、ある社長さんとの話に、私の個人的所感を添えてつづります。

(もちろん話の途中から)
その社長さん曰く・・・うちだけが、この辺のお客さん根こそぎかき集め、一人占めしているかのように思われ、まるで極悪非道だみたいな見方までされているのかもね・・・ って。

でも、じゃぁどうだろう〜?
例えば、「うちの○○o○によって、既存の近隣営業店への影響が大きいみたいで、皆さんの死活問題にもなっているようなので、申し訳ないから閉めます!」ってことになったら・・・ 今まで利用してくれてた人、市民はどう思うだろうね、って。
(こんな話、実際にはないだろうけど、仮説としては面白い)

数年前、その○○o○はオープン、そしてその圧倒的な繁盛ぶりは、近隣飲食店街に対してかなりのダメージを与え続けていると思われる。 もちろんその他の店舗が、その業績悪化を招いた要因は何かしら他にもあるだろうけど、その○○o○さえなければ、これ程ひどい状態にはなっていないという言い分も、わからないではない・・・とのこと。

しかし、先ほどの「閉店」といった選択肢になった場合には、結果的にこの地域の皆さんをガッカリさせ、地域の飲食娯楽文化の普及発展といった観点からしても、明らかに後退を意味する。 そして在来の飲食店街は、一定程度持ち直すと思われていても、期待していたほど客足が戻らないといったこともあり得る(※)。 また、折角撤退してくれたそのあとに、また類似した、あるいはひょっとしてもっと強大な大手資本の大型店舗が来るやも知れないという何の意味もなさない結果を招く可能性もでてくるのである。
(※・・・その○○o○があることにより、そのエリアの総体的集客力は以前よりも上がっていたわけで、その大型店がオーバーフローしたり、広域からの集客実績が加味されていたことのプラスアルファー分すら失うことになる。)


つまりどうでしょう・・・

このことはまさに、現在の名寄の中心部商店街と、Sデパートと、徳田のP問題に似たような話じゃないかと思うわけですよ。
庶民(とりわけ若い世代)は、この田舎町が少しでも都会化することを望んでいるわけで、旭川や札幌にあるようなものが身近になることを常に望んでいる(自分らも若い頃そうでした)。 そして、広域に業績を伸ばしている企業というのは、そこに住む人達が求めるものをしっかりとリサーチし、「これは当たる!」といった実績に裏打ちされた根拠とノウハウを備えて店舗展開をしてくる。 そしてそこには、この地域の皆様に対し、一企業として、その商業活動を通して出来得る限り社会貢献するといった大きな使命と理念がある。

年に一度ぐらいは海に浸からないとね!












まさに海水浴。
海の水に入浴する、って感じの、まさに「日帰り入浴」行ってきました。

何だろうね〜
やっぱ生物の根源は海から生まれたからなのかな〜、私の場合、年に一度ぐらいは海に浸からないとどうも気が済まない。

さて、 ←どこの海かわかりますか?
海と言っても、道中、湖の畔を通っていくんだけど、ほんとはどうなんだって思う疑問が二つある。

まず一つは、名寄から日本海に抜ける時、朱鞠内経由で行くんだけど、士別周りより、ほんと近いのか早いのか?って言うこと。

それともう一つは、霧立峠下り始めてから、小平に抜ける道あるでしょ〜 それがこの上四枚の写真なんだけど、これって苫前の古丹別抜けて行くのより、ほんと早いのか?ってこと。
今回久々に通ったけど、道だいぶ整備されてて走りやすくなってましたけどね。

まあこういうのって、距離だけでは計り知れないものありますよね〜
バイクとかならこの連続するコーナー攻めて、けっこう面白いんだろうけど、四輪にはこの手のカーブ連続は、タイヤと同乗者にあまり有難くないような感じ。


ちなみに今回ビバークした浜辺は、トイレやシャワーなどそう言った設備は無かったけど、ちょいと立ち寄るにはいい感じ。(海水浴場どこも混んでて・・・)
監視もいないし、自由度も高い。
車、道路に停めたすぐその横の歩道にチェアーだの、コンロだの広げてバーベキューとか出来るし、砂場もあって岩場もある。(つまりウニとかもいる)
さらにコンクリートで護岸整備された部分もあるので、海から上がる時、足元をキレイに保てるのが嬉しい。
おまけに遠浅じゃないので波がある。海面に浮かんでいると、まさに「波の出るプール」である。